過去を許す

   

家庭環境はその者の人格を形成する、人生で最初の場です。

 

個人的意見としては、家庭環境でその者の人格のほぼ全てが決まると思っています。

 

「三つ子の魂百まで」
とはよく言ったものだなぁと思います。

 

心に歪みがある人がいます。
じゃあそれは家庭環境に何らかの問題があったということです。
???
心に歪みが無い人間がいるのか?
多分居ないと思います。
いわゆる普通の人というものは、人々の"問題の無い部分"の寄せ集め、つまり幻想です。
じゃあ何故"歪んだ者"をピックアップするのか。

 

僕がピックアップする"歪んだ者"は歪みゆえに生きにくくなっている人のことです。

 

その歪みの原因は生まれ落ちた家庭にある。

 

先に言っときます、この日記はネガティブなものではありません。先へ進む為に参考にしてほしいものです。

 

話を戻します。

 

僕は3歳の時に親が離婚しています。
実父とは26最高の時に再会しました。
再会した親父は最高の人でした。

 

「ずっとこの親父が僕の人生にいてくれてたら歪みは無かったやろうなぁ」と思いました。
今はそんなことどうでもいいですけどね(笑)
23歳の時に僕はあることに気づきます。
「僕が歪んでるのは家庭環境が原因だ」
「あれ?僕は自分の闇を親のせいにするのか?」
「それは自分の人生を否定しないか?」
「でもその原因は間違い無い」
「真実と道理、どちらを取るのか?」
様々な葛藤の中、ある結論に至ります。

 

 

「責任転嫁と原因解明は違う」
歪んだことを家庭環境のせいにするのではないのです。でもそこには真実としての原因が家庭環境にあるのです。

 

「改善」や「向上」に必要なものは「原因解明」と「対処」です。

 

歪みや闇を家庭環境が作り出したという事実を認識してください。それはお父さんやお母さんを責めるものではありません。

 

 

では「対処」とはどうすればいいのでしょう。

 

それはこの日記の「過去を許す」ということなのです。

 

僕の母親は、親父に関わるものを全て破棄して子供がそれを見られないようにしていました。

 

だから僕は実際に親父と再会をするまで顔も知りませんでした。

 

親父と再会して、親父がずっと持っていた僕が小さい頃の写真やビデオを初めて見ました。

 

ある時僕は一人で、親父が小さい頃の僕と公園で遊んでいる映像を見ていました。

 

それを見ていると、普段ほんとに泣かない僕でしたが、何故か分からないけど涙が止まらなくなりました。

 

その時は自分のなかで何が起こってるのか分かりませんでした。

「寂しかったのか」
「つらかったのか」
「感動したのか」
「嬉しかったのか」

こんなとこだろうなと思っていました。

 

今ではその時の気持ちがよく分かるのですが、そのどれでもありませんでした。

 

 

涙の意味は、ビデオに映る小さな頃の自分や親父と別れてからの自分に対する"許し"だったのです。

 

ビデオに映る子供の自分は、かわいくて楽しそうで幸せそうでした。

 

過去の自分に「よく頑張ったね」と思ったのだと思います。

 

「こんな私じゃいけない」

 

確かにそうかもしれない。

 

でもあなたは頑張って生きてますよ。

 

過去の自分を褒めてあげられるのは自分しかいないのです。

 

僕はその時に過去の自分をもう1人の自分のように見て、愛おしくてたまらなくなりました。

 

「お前はよく頑張ったよ、ありがとう。これからは僕が頑張るね。」

 

みんな昔の自分を許してあげてください。

 

たくさんの苦い経験があります。
でも今生きてるってことは、それを乗り越えてきたのです。

 
だからその自分を許してあげて欲しい。

 

 
そして今の自分が、今から頑張るんです。

 
愛おしい自分からのバトンをしっかり握って生きてください。

 - 日記