ベージュのトレンチコートが似合わない

 

大学の入学式の翌日、新しい環境に浮かれた周囲とは裏腹に、私は不安に駆られていた。
ついこの間まで制服を着ていたので、あまり気にしていなかった。
アウターのみ指定があるのかと思うほど、見渡す限りベージュのトレンチコートだらけだ。
コートの中には花柄のワンピース、白のブラウスにパステルカラーのスカート……まるで洋菓子だ。
ふわふわ、キラキラした彼女たちは春を謳歌している。

 

当時の私は貫けるほど強い個性はないが、大多数に溶け込めるほどこだわりがないわけでもない、といった中途半端な状態だった。
だが、周囲を見回し漠然とした焦りが募ってきた。
幼い頃から刷り込まれてきた「女の子は女の子らしくいなければならない、可愛くなければならない」という価値観。
この場合の女の子らしさとは、女子大生と聞いた時、みんながパッと想像するような……今目の前にいる彼女たちのようであるべきではないのか。

 

あまり気乗りはしないが、謎の焦燥感に突き動かされ、貯めていたアルバイト代でバーバリーのベージュのトレンチコートを買った。
あのバーバリーのトレンチコートなら誰でも似合うだろうというよく分からない思いつきで。

 

次は中身だ。
人混みに酔いながら、這いつくばって流行が取り揃えてあるショップへ入る。
店のキャパシティに対して大きすぎるBGM、騒がしいルームスプレー、店員の金切り声に神経質の私は気が狂いそうになった。
正常な判断能力を失い、勧められるがままふわふわの素を買った。

 

帰宅後、早速自室でファッションショーを開催する。
どうせ似合わないだろうと諦めながら、完全に希望を捨てきれない自分に気付く。
もしかしたら、私だって洋菓子の仲間入りができるんじゃないか。
ほんの少し期待をしながら、姿見までパリコレモデルのようにウォーキングしてみる。

 

鏡の中には地獄が広がっていた。
あのバーバリーのトレンチコートだというのにとてつもなく野暮ったい。
中身も全然ふわふわにならない。
なぜ私が着るとこんなにも平面的になってしまうのか。
訳がわからなかった。
本当は分かっていたけど認めたくなかった。
私は女の子らしい格好が壊滅的に似合わないと。

 

そこからさらに迷走したのは言うまでもない。

 

 

 

歩く時、はるさんが腕を組むよう促してきた。
私は人と腕を組むなんて複雑な行為をしたことがなかったので動揺した。
映画で見たシーンを思い浮かべながら、針金を曲げるようにぎこちなく腕を巻き付ける。

 

外見も内面も女の子らしさに届かない私は、女としてカウントされていいのかとずっと負い目を感じていた。
そんな自分が嫌いだという自己嫌悪と戦っていて、最終的に私はどうせ可愛くないですよと諦めて開き直っていた。

 

はるさんは人は変わらないから早く自分に観念しろと言う。
私はなんでそんな夢も希望もないことを言うのだと悲しい気持ちになった。
こんなコンプレックスの塊が自分だと認めたくなかった。
努力すれば人は変われると信じたかった。
でも今ならよく分かる。
観念するとは、決して開き直りやネガティブな意味での諦めではないのだ。
ずっと分からなかった開き直りと自己受容の違いの感覚が掴めた瞬間、私は自分に観念した。

 

ちゃんと腕を組めているのだろうか。
はるさんにしがみつく不恰好極まりない自分を客観視して笑い出しそうになるのをこらえる。
不恰好だが、可愛くスマートに振る舞えない自分を私らしいな、私はこれでいいなと思う。

 

ベージュのトレンチコートは相変わらず似合わない。
だけど、今ボケ倒した私にはるさんが物騒なツッコミを入れている。
ベージュのトレンチコートが似合わないことなど取るに足らないことだろう。

 

 

乳母日記

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